もう2019年が幕を開けて半月以上経ちました。
2018年は、たくさん旅をして、新しいものにたくさん触れて、アウトプット(つまりはこのブログ)が追い付かないまま。
一体いつの話をしているんだ?と自分でも思いますが、どの旅も思い出深いものだったので、やっぱり全部書いておきます。
時は遡り、11月(えっ遡りすぎじゃない?と思ったあなた、正解です)。
同じドイツ国内とはいえ、シュトゥットガルトから見るとスイスやオーストリア、フランスといった異国よりも遠い、ベルリンの地に私はいました。
せっかくドイツにいるからには、首都ベルリンには行っておきたい!
びゅーんっと飛行機で1時間強。格安航空で片道数千円です◎
まず物理的に、都市の規模が大きい。
やっぱりここは首都なんだな、シュトゥットガルトは小さな地方都市だったんだな、と再認識しました。
回り切れなかったところはたくさんありますが、ぎゅぎゅっと詰め込んだ2泊3日。
まず訪れたのは、ブランデンブルク門。
頭の中は、ずっと、ブランデンブルク協奏曲が流れていました。あの曲好き。
想像以上に大きくて、観光客がたっくさんいて、当たり前のように門をくぐって、パシャパシャ写真を撮ります。
ここから続く大通りも本当に大きくて、久々の大都会(東京以来)に少しビビりながらも、あ、私やっぱり都会が好き、と思ったり。
お約束の(?)NIVEAショップで買い物してみたり、シュトゥットガルトにはない、流行りのお店で可愛い服に目を奪われたり、
これまたシュトゥットガルトにはない、見た目もお味もおしゃれそうなレストランやカフェに引き寄せられていったり、忙しい忙しい。
↑H&Mのお姉さん的ブランド、&other stories。
シュトゥットガルトにできてくれないかしら…
後ろ髪が見えるなら、もうそこら中私の後ろ髪だらけだったことでしょう。
本当に、引かれまくりました。
ゆっくりショッピングしたい、あのカフェでのーんびりコーヒー飲みながら読書したい、なんだこのレストランは!?って…
でも私たちには時間がない!
そして格安航空だから機内持ち込み荷物のみ!
液体は買えない、重いものも大きいものも買えない…
逆にその制約がなければ、帰りの荷物はとんでもないことになっていたかもしれませんが…
このネット社会、出発前にこれでもか!というくらい下調べしたので、買い物は少数精鋭、スピード勝負で済ませます。
だってここはベルリン。
ショッピングもグルメもいいけれど、どうしてもこの目で見ておきたかったのは、そうベルリンの壁。
正直なところ、ベルリン行きを決めて改めてベルリンの壁について調べるまで、恥ずかしいくらいふんわりとしか知らなかった私。
いつどこに、どんな風に壁ができていたかさえ、きちんと分かっていなかったのです。
同じベルリン市内なのに、ここは西ドイツ、あっちは東ドイツ、と分かれていたこと。
経済格差があったため、東ドイツ側から西ドイツ側へ移る人が多く、このままではいけないと、一夜にして東ドイツ管轄エリアをぐるっと壁で囲ってしまったこと。
それは何の前触れもなくできたため、家族、友人がその一夜で離ればなれになってしまったこと。
壁は両者の往来を遮断し、越えようとする人々は容赦なく殺されてしまったこと。
それが、実に28年ものあいだ、続いたこと。
たどり着いた場所は、先ほどまでの現代的で刺激的な雰囲気は影を潜め、なんだかひっそりと、けれど目に見えない人々の想いが渦巻いているような、不思議な空気に包まれていました。
初めて目にした壁は、保存用の一部分だけだからなのか、遠目から見るとそんなに大きく高くはないようにも思えました。
でも、壁の目の前に立ってみると、それは圧倒的で、絶対的でした。
しかも当時は厳重な警備がなされ、壁に近づくことも難しかったのだから、これは越えることなんて出来なかっただろう。
絶望しかなかっただろう。。
人種も性別もなく多くの観光客が訪れていたそこで、それぞれが静かに過去を思い、今を思い、未来を思っていました。
このただ悲しいだけの壁が、そう遠くはない過去に、こんな先進国のしかも首都に、あったのです。
見上げた空もまた真っ二つに分かれていて、それが無性に悲しくて、思わず景色が滲みました。
だって空は大きくて広くて、世界中繋がっているはずなのに。
どうしてこんなに不自然に分かれてしまうんだ。
こんな切り取り方、人の造ったものでしかできないじゃないか。
たくさんの悲劇を生んだベルリンの壁が、紛れもなく人の手で造られたことを、この空を見たときに強烈に感じました。
すぐそばにはビジターセンター(壁の博物館)があり、写真や映像、さまざまな展示品でその歴史を見ることができます。
ここでは、壁を越えようとして命を落とした一人一人にスポットが当てられ、壁に翻弄された彼らの人生を目の当たりにし、また涙が溢れてきます。
私たちが無邪気に写真を撮ってするっとくぐったブランデンブルク門も、当時は近付くことさえできなかったなんて。
月並みな言葉しか出てこないけれど、平和を祈る気持ちしか出てきません。
地球上には自分の理解が及ばない価値観や背景を持った人がそれはそれはたくさんいて、というか、ちょっと分かるかも、と思う人の方が少なくて、
“違う”ことは当たり前だと思うのです。
それは、“良い”とか“悪い”とか、“正しい”とか“間違っている”とか、そういう物差しでは決して計れなくて、ただ“違う”だけのこと。
たとえばある人にとっての“善”がある人にとっては“悪”だからといって、お互いが傷つけあう理由にはならないはず。
実に単純なことなはずなのに、脈々と続く人類の歴史において常にどこかで争いは起こっているから、悲しいけれど、それが人間というものなのかもしれない。
でもどんな大義名分をかざしても、罪のない人が苦しんでいる事実、それは絶対に正当化できないこと、だと思う。
私自身ドイツに来て、“日本人だから”、“アジア人だから”というだけで心ない言動を受けることも少なくない。
人間には、敵を作ることで自分を守ろうとする本能があるのかもしれない。
私だって、“違う”ことを“悪い”とか“間違っている”と変換してしまっていることも、きっとゼロじゃない。
でも、ここで見た真っ二つの空が、これからの私を少しは強くやさしくしてくれるような気がします。
そんな私が今とっても読みたいのが、この本。
第160回直木賞候補作(って本当についこのあいだ発表されましたね)になったもの。
2018年9月発売なので、私たちがベルリンへ行くほんの少し前です。
ミステリーのようですが、歴史物としてもいいくらい骨太な内容のようで、とても興味があります。
単行本だから重いけれど、来月一時国するので買う予定です。